カジノ 摘発 2020

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 歩兵たちはケールから要塞南縁を抜けて西へ走る国際鉄道線の堤へ達して散兵線を敷き、工兵はシャッヘン製粉所を強固な拠点とするため防御工事を行います

前哨の補強としてワーグホイザー(大聖堂の南3.5キロ)には1個中隊が進み出ました

12日夜にはノイドルフの前哨が更に要塞斜堤へ接近して配置に就き、最右翼(東)の1個中隊はシュポレン島西端を作るライン川支流に架かる国際鉄道鉄橋に達し、翌13日夜にケール駐在部隊がシュポレン島に進出したことにより東部と南部の攻囲前哨同士が連絡を取り合うのでした

 対する仏軍は12日、ホスピタール門(大聖堂の南700m

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要塞の南門)直前まで前進して来たBa軍部隊に銃砲火を浴びせ始め、13日午後には歩兵2個大隊と野戦砲兵1個中隊による出撃が行われました

 攻囲以前の8月16日に行われたフィエヴェ大佐のイルキルシュ(大聖堂の南南西6.5キロ)遭遇戦以降、南部では最大の仏軍出撃となったこの日、Ba師団前哨は各所で猛撃を受けて後退し、鉄道堤は再び仏軍の手に戻りました

これで満足したのか仏軍は14日朝には撤退し要塞内へ引き上げますが、Ba前哨が鉄道堤へ近付くとすかさず猛銃砲火が浴びせられたため、Ba師団は前哨線を多少後退させるしかありませんでした

砲撃下ヴィルヘルム橋を行くフィエヴェ大佐の葬列(9月上旬) この状況を聞き及んだヴェルダー将軍は、「決戦を行うために待ち望んでいた仏解囲軍出撃の予兆かも知れない」と考え、薄い南部攻囲線を強化するためBa第2連隊第1大隊に砲兵2個中隊を付けていつでも出撃可能とさせると、イルキルシュ、ユルマット(大聖堂の西南西32キロ)、そしてルッツェルホウーゼ(ユルマットの西2.8キロ)にあった諸部隊をムツィグ(大聖堂の西22.5キロ)、オベルネ(同南西23.8キロ)、エルスタン(同南南西19キロ)に前哨隊として差し向けました

 Ba師団の野戦重砲諸中隊は、9月14日以降陣地転換を繰り返しつつ要塞内南部の諸施設、例えばオーステルリッツ門(大聖堂の南南東520m

ホスピタール門の東側)付近の砲兵兵営などを焼夷弾により砲撃して、多少の効果を上げています

 攻囲戦最終段階の9月25日夕刻に仏軍は再び出撃してノイドルフ東の鉄道堤を占拠しますが、これには前線で警戒中のBa擲弾兵第1「親衛(ライブ)」連隊第8、12中隊が反撃して仏軍は要塞内まで追い払われました

この時Ba擲弾兵は付近の仏軍監視哨となっていた家屋多数を焼き払っています

 同じ25日にはライナウ(ケールの北東13.7キロ)に架けられていたライン川軍舟橋が撤去され、上流(南)のプロープスハイム(同南南西13.3キロ)に転送されると架け直されました